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ミルナ・ナズールの聖痕

f0340134_00142827.jpgミルナ・ナズールさんに聖痕が現れたときには、イエズス様と同じ場所にでました。
そのときには恍惚状態になったそうです。
その様子を医者が確認しています。

▼聖痕が現れた時の映像
kobieta oddana Bogu ~神様に捧げられた女性~ 

▼ポーランドのテレビ番組のインタビュー
Myrna Nazzour. Mistyczka i stygmatyczka

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by NaszDomJaponski | 2014-05-26 00:15 | Our Prayer | Comments(0)

聖油と聖痕 〜Myrna Nazzourさんとのインタビュー〜

現在、シリアからポーランドを訪れているMyrna Nazzourさんと夫のNicolaさん。
お二人のインタビューをご紹介します。
ポーランドのテレビ番組で放映されたものを翻訳してテキストに起こしました。
小さなお土産のイコンから聖油が出たこと、彼女の体に聖痕が現れたこと。
神様の奇跡のみ業のお話です。
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▲写真:中央(Myrnaさん)右(Zygmunt神父様)

Gazeta Polskan ポーランドのテレビ番組 ↓↓コチラをクリック TYLKO U NAS - MYRNA NAZZOUR - CHARYZMATYCZKA W POLSCE
Myrna Nazzour(ミルナ・ナズル)とのインタビュー番組

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▲写真:左(Myrnaさん)右(夫のNicolaさん)

Myrna Nazzour(ミルナ・ナズル)とのインタビュー

Nicola Nazzour (夫)

Dominik Tarczynski (ドミニク・タルチニスキ)は聞き手です

Zygmunt Kwiatkowski神父。

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DT: 皆さん、こんにちは、今日は友達である人、ミルナ・ナズルさん 、彼女の旦那さんのニコラさんとゼイグムント神父をお招きできて、嬉しいです。友達との話なので、堅苦しいインタビューではなく、気軽な形式でお話をしたいと思います。ミルナさんがなぜポーランドにいらしたのか、なぜそれが喜ばしいことなのかお話したいと思います。ゼイグムント神父への質問から始めたいと思います。

神父、なぜミルナさんがポーランドにいらっしゃったかを教えて下さい。

Z: 自分が答えるよりミルナさんにその質問をします、よろしいですか?

M: 私はミルナという普通の女性です。カトリックの家庭に育ったので、子供の時からイエス様のことが知っていました。ただ、子供の時と現在では、イエス様の理解が違います。5人兄弟の家に育ちました。私は3番目の子供でした。兄と姉、弟と妹がいます。お祈りは家で覚えましたが、特別に熱心な信者ではありませんでした。教会に行き、讃美歌が大好きでしたが、お祈り会などには入っていませんでした。18歳になって結婚することになったので、大学で勉強はしませんでした。ニコラは私の初恋で、最後の恋でした(笑)。

D: それでは、なぜそんなに世界の国々へ行くことになりましたか?ポーランドは三回目ですね?

M: 夫は正教会信徒です。婚約した時から、夫のお母さんと姉妹が私を毎水曜日教会へ連れて行きました。私もニコラも賑やかな生活、音楽、ダンスなどが好きだったので、私がそんなに教会に行くことになって彼は驚きました。どういう結婚式をするかと考えた時、カトリック教会で結婚式を挙式し、その後、お金のかかる披露宴を開催するより、正教教会の伝統を利用して、神父様に家に来て頂いて、家で結婚することにしました。披露宴に使うべきお金で海外旅行をすることにしました。

D: その新婚旅行のとき、何かあったと聞いていますが

M: フランス、スペインとイタリアに行くことにしました。バチカンにも行って、見学しました。ニコラはドイツ語ができるので、ドイツのツアーの説明を聞きました。木造の告解室を見て、それがキオスク(販売店)だと思いましたが、私は告解室だと説明したら告解がしたいと言い、ドイツ語で告解ができる告解室に入って告解して、とても満足しました。

その時、とても驚いたことがありました。いきなりヨハネ・パウロ二世教皇がいらして、そのドイツ・ツアーの人たちと挨拶しました。巡礼だったらしくて、教皇が彼らのためにミサを預けることになりました。私たちはミサに預かるつもりがありませんでしたが、人がいっぱいで外に出ることが出来なくて、最後までミサに預かりました。とてもきれいなミサでした。ミサの後、人々が教皇を囲んで写真を撮っていましたが、人があまりにも多くて、教皇の近くに行けませんでした。あんなに近くいたのだから、祝福して頂ければよかったのに、と後に残念に思いました。

D:その時、例のイコン、オイルが出るイコンを買いましたか?

M:違います。あのイコンは、ニコラが私と結婚する前に、ブルガリアに行った時に買いました。その時、お土産としてイコンを10枚も買いました。

D: 皆さんに、ミルナさんとニコラさんがごく普通の人たち、普通の夫婦だと紹介したいと思いました。タブロイドがミルナさんの事を書くと、彼女は魔術を使って人を癒す女性だと紹介しているからです。神様の働きの結果だと思いますが。イコンのことを話して下さい

N: ミルナと結婚する前に、ヨーロッパを旅行したい友達は外国語が話せないので、一緒に行かないかと聞きました。一緒に行きました。トルコ、ギリシャ、イタリアに行って最後ブルガリアに行きました。もっと旅行したかったのですが、お金がなくなって、国に帰らなければならなくなりました。帰る前に、教会に行って神父様とドイツ語でお話しまた。教会を出たら、キオスクがあって、イコンがあったので、お土産として10枚買いました。シリアに帰って、一枚だけ取っておいて、残りを親戚にあげました。結婚後ミルナにその一枚あげました。

Z:私もこのイコンを見ました。安くて、小さくて、プラスチックのイコンともいえない聖母マリアの絵です。

N:とても安い絵でした。一ドルで四枚も買えました。

Z: その絵からある日、オイルが出始めました。お茶碗二杯ぐらいの量が出て、人が集まって不思議に思っていました。この絵の前に人が集まるようになって、警察がどういうことなのか見に来ました。絵の後ろにオイルがあるのではないかと思って、絵の片方を割りました。今も割れたままです。後ろに何もないと見て、帰りました。割れた絵からその後も、しばらくオイルが出ていました。

D: どれぐらいの量が出ましたか?

M:病院でミサをする神父様が、病院から注射器と薬の空瓶を持って来て、オイルを注射器で取って小さい瓶に入れました。瓶が何本もありました。

D:そのオイルが絵から出た時から、神様の様々な印が現れました。ミルナさんの手からオイルが出て、体に聖痕が現れました。オイルはどういう意味なのか?なぜこのオイルをつけた人が癒されたのか?

M: 私には分からないことです。神様のみ業だと思います。

Z:  人間は精神的な印だけではなくて、物理的な印も必要としています。確かに、中東の各国でよく見たことは、人がイコンのところまで来て十字架を切るだけではなくて、イコンを触り、触った手に接吻します。各教会に聖油があって、人がそれを綿に付けて家に持って帰ります。聖油は中東の教会の象徴です。

D:しかし、絵だけではなくて、ミルナさんの手からもオイルがでました。ミルナさんから出るオイルは魔術ではないかと考える人が現れると思いませんでしたか?

M:こういう心配はまったくありませんでした。逆に、家に来て絵から出ているオイルや私の手から出ているオイルを触った人の表情が変わったのを見て嬉しかったのです。今でも家に来たい人は大歓迎です。

D:あなたの体に聖痕が四回も現れましたが、その跡が残っていませんが、どういう時現れたのか、その時何を感じたのかを教えて下さい。

M: 最初は怖かったです。どういうものなのか分かりませんでした。しかし後で気がついたのは、聖痕は正教教会とカトリック教会が一緒に復活祭を祝っている時に限って、現れるということでした。私の天職は教会の統一を呼びかけることだと分かりました。聖痕がいきなり現れます。そのとき、辛い痛みも感じます。聖痕は毎回、イエス様と同じ傷の場所にであった両手、両足、脇と額に現れます。45時間あって、その跡なくなります。おっしゃったように傷跡も残っていません。

D:最近、ポーランドで、あなたについて出版された本によると、あなたの聖痕が他の聖痕のケースと比べて、一番よく研究されたものだと書いています。大勢の医者に診て頂いたからです。どういう医者があなたの聖痕を診ましたか?

M: 最初はシリアの医者に聖痕を診て頂きました。皮膚科とラボで傷を見て頂きました。その跡フランス、ドイツ、アメリカなどの医者も私の傷を診て下さいました。カトリック教会と正教教会が一緒に復活祭を祝う四旬節ごとにいろんな国の医者が私を訪ねに来ました。一つの傷が12センチもあったので、ある医者はこの傷を縫わなければならないと判断しましたが、夫が傷を縫わなくていいと言いました。開けた方が縫って下さるからです。聖痕は最後に現れた2004年にノルウェイの医者が診ました。信者ではありませんでした。傷を診て研究して、傷の原因は不明だと証明書に書きました。一人はクヌト先生という医者でした。未信者で神様を離れた人でしたが、私の聖痕を見て、ミサの時、私のところに来て、ご聖体を受けたいといきなり言い出しました。聖体は告解した後にしか、受けられませんと答えました。まず告解して、神父様と相談してくださいと言いました。イエス様のところに戻ることが一番大切だと彼に言いました。

D: 素晴らしいことですね。今日はミルナさんの短い話しか聞けませんでしたが、神様の神秘的な存在が、今現在でも感じられるということを理解することが大切だと思います。これからもミルナさんの体験について知りたい方がいらしたら、これからの滞在の日程を申し上げますので、ミルナさんに会いにいらして下さい。


(翻訳:Dorota Halasa, Saeko Inagaki)



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by NaszDomJaponski | 2014-05-22 13:24 | Our Prayer | Comments(0)

PRZYJDZ KROLESTWO TWOJE ~神は人生の救い~

f0340134_00131020.jpgPRZYJDZ KROLESTWO TWOJE
Bog realizowal dzielo Zbawienia poprzez kolejne etapy historii, kolejne formy rzadow, az do krola Dawida, ktory byl jednak tylko figura prawdziwego Krola, Mesjasza i Zbawiciela w jednej osobie, Jezusa Chrystusa. Boze dzielo Zbawienia trwa az Jezus Zmartwychwstaly, ktory „siedzi po prawicy Ojca” powtornie przyjdzie jako Krol Chwaly.
Cale dwa tysiace lat historii Kosciola to kolejne formacje cywilizacyjne i kulturowe, kolejne formy wladzy, az po ostatni ...etap przygotowania, jak to bylo w przypadku Jana Chrzciciela, na przyjsciePana.
Bardzo mozliwe, ze Sobor Watykanski II i dzialalnosc ostatnich papiezy jest wlasnie tym ostatnim etapem, w ktorym wolamy o Boze Milosierdzie, gdyz tylko Jezusowi ufamy i chcemy aby ON BYL NASZYM KROLEM NA ZIEMI.Dzisiejsza liturgia slowa uczy,ze spelnia sie dzielo Zbawienia w misterium przyjmowania poslancow Bozych.O jakich poslancow chodzi ?

(O.Zygmunt Kwiatkowski)

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神様が人類の救いを歴史の中で段階的に行っています。それぞれの政権に権力を与えます。ダビデ王は王様の一人にしか過ぎません。本当の救い主はイエス様でした。救いの過程がまだ終わっていません。

「父の右座にすわっている」
メシアであるイエス様が改めて栄光の王としてこの世に来る時までかかります。教会の二千年はそれぞれの段階、いわゆる文化、文明、政権に分けられています。その歴史の最後の段階は洗礼者ヨハネの場合のように、主が来られることを準備することです。

第二バチカン公会議や最近の教皇の活動がその準備の段階にあたるかもしれません。神様の慈しみを探しながら、イエス様しか信用していられないときです。

彼を王様にさせたいと思います。今日の第一朗読によると神は約束に従って、救いを満たすため預言者と裁く者たちを任命なさいました。どうい預言者と召使のことでしょうか?


(Zygmunt Kwiatkowski神父)


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by NaszDomJaponski | 2014-05-16 00:14 | Fr.Zygmunt's Voice | Comments(0)

報道ステーション シリア・レポート

Obejrzelismy wlasnie program w TV Asahi, ktory pokazal sytuacje w Aleppo.
Japonski dziennikarz telewizyjny Kenji Goto odwiedzil Aleppo w koncu kwietnia.
Pokazal material filmowy z 28 kwietnia.
Wybuchy, poranieni ludzie, przede wszystkim dzieci.Jednemu dziecku wybuch oderwla raczke.
Film byl krecony w Aleppo po stronie rebeliantow.
Telewizja pokazala mapke Syrii, z ktorej wynika ze powiekszyl sie obszar terenow kontrolowanych przez rzad prezydenta Asada. Przerazajace widoki wybuchow i eksplozji obejrzelismy. Niech Duch Swiety oswieci politykow, ktorzy szastaja zyciami ludzi

テレビ朝日で報道された、シリア・アレッポの状況です。
日本人のジャーナリスト・後藤健二氏は4月末にアレッポを訪れ、4月28日の現地の映像を公開しています。
映像はアレッポの反政府側で撮影されたものです。




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by NaszDomJaponski | 2014-05-14 22:05 | Our Prayer | Comments(0)

Pogadanka O. Zygmunta o Syrii ~シリアについての講演~

Pogadanka O. Zygmunta o Syrii na spotkaniu z charyzmatykami na Uniwersytecie Sophia 27.04.14 cz 1


2014年4月27日(日)
Zygmunt神父様は上智大学・カリスマのミーティングでシリアについてのお話をされました。






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by NaszDomJaponski | 2014-05-04 20:01 | Fr.Zygmunt's Voice | Comments(0)

Children in Syria

ポーランド人シスター Klaudiuszy の要請で 、シリアに30年間布教生活を送ったFr.Zygmuntとのインタビュー記事を紹介します。インタビューは英語です。







Na prosbe Siostry Klaudiuszy, ktora pracuje obecnie w szkole Sw. Jozefa w Jokohamie O. Zygmunt Kwiatkowski napisal i nagral piekne przeslanie do japonskiej mlodziezy dotyczace Syrii. Oto ono:

Dzieci syryjskie byly takie jak wy. Przepraszam, nie BYLY ale SA. To warunki sie tylko zmienily, one sa takie same. Tak samo lubia sie bawic w gry komputerowe, lubia ogladac telewizje, maja wlasne programy, lubia spiewac i robic przedstawienia. Tak jak wy lubia szkole a czasem jej nie lubia. Duzo sie ucza, bo wiedza ze od tego zalezy ich przyszlosc, a raczej to rodzice wiedza i bardzo czesto im o tym przypominaja.
Wybuchla wojna. Trzeba bylo uciekac z domu. Przyszla wiadomosc, ze dom zostal zburzony albo okradziony. Nagle stracili wszystko. Nie mogli zajmowac sie komputerem, nie mogli grac , nie mieli internetu, mieli brudne, zniszczone ubrania. Nie mogli je codziennie zmieniac. Nie bylo wody bardzo czesto, nie mieli wlasnego mieszkania, zyli w jednej izbie cala rodzina, brakowalo pieniedzy, pojawila sie bieda, mezczyzni poszli na wojne, kobiety same musialy sobie radzic w bardzo trudnych warunkach.
Wydawalo sie, ze to bedzie trwalo krotko, ze to niemozliwe aby wojna trwala dlugo. Przyszla zima i nie bylo ogrzewania. Nie bylo pracy, nie bylo srodkow do zycia a jedzenie stawalo sie coraz bardziej drogie. W niektorych regionach nie bylo szkol, nie bylo lekcji. W wielu miejscach jednak organizowano nauczanie na sposob domowy, zeby nie stracic roku. Gineli ludzie, czasem bliscy. Strach zaczal coraz bardziej rzadzic zachowaniem. Trzeba sie bylo kryc w piwnicy gdy bylo bombardowanie. Nie bylo lekarstw, nie bylo komunikacji, polaczenie telefoniczne bylo czesto przerywane, ale najgorsze byly porwania. Rozwinela sie nowa galaz gangsterstwa. Porywano ludzi, starych i mlodych i male dzieci a potem za ich wypuszczenie zadano oplaty. Zadano tak wielkie sumy, ze rujnowalo to cala rodzine, placili pieniadze i czasem uprowadzony do nich nie wracal. Wielu ucieklo do obozow w obcych krajach i tam zyja w namiotach, opierajac sie na pomocy organizacji humanitarnych.
Wszystkim jest bardzo zal czasow kiedy w Syrii byl pokoj, mogli sie uczyc i bawic, mogli calymi rodzinami udawac sie samochodem wypelnionym po brzegi, wolno jadac zatloczona ulica i prosto z samochodu kupowac lody albo slodycze. Tesknia do czasow kiedy siadano na tarasach domow albo na balkonach, starsi palili wodne fajki (argile) i rozmawiali. Mlodzi szukali czegos w internecie, sluchali muzyki, rozmawiali ze soba pijac herbate.
Co mozna zrobic ? No wlasnie, jak mozna zareagowac na tak wielka katastrofe?
Dac im znak przyjazni i podtrzymac w nich nadzieje normalnego zycia, w pokoju.
Podtrzymywac wiezy przyjazni wsrod nas, w naszym kregu , a wiec dazyc do pojednania. Kto nie rozmawia z jakas osobe, moze zaczac dawac znaki przyjazni. Nie gniewac sie i nie doprowadzac do zerwania wiezow. Pomagac innym kolegom i kolezankom aby nie bylo wsrod nas wrogosci i niecheci.
Modlic sie o pokoj na swiecie. Modlic sie o pokoj w Syrii i te modlitwy, ktore sa skierowane do Pana Boga wyslac rowniez do ksiedza ktory pracuje w tym kraju, aby na Mszy sw. tamtym dzieciom je odczytal i aby mogly sie modlic z nami.

https://www.youtube.com/watch?v=8O4HutYuGks&list=UUVrmV3QubuIsZv-f7cfqfHA




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by NaszDomJaponski | 2014-04-20 18:00 | Fr.Zygmunt's Voice | Comments(0)